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社 名

株式会社トリコロール

創 業

昭和11年3月

資本金

5千万円

代表者

代表取締役社長 上席執行役員 柴田 直孝

本 社

東京都港区新橋 6丁目12-5 TRCビル

事業所

関西事務所:大阪府大阪市北区堂島浜2丁目2-28  堂島アクシスビル4階SYNTH

営業店舗数

62店舗 2024年3月 ※連結子会社を含む

主な出店先
(50音順・敬称略)















全国百貨店:
伊勢丹・井筒屋・岩田屋・ジェイアール東海髙島屋・そごう・大丸・髙島屋
東武・福屋・藤崎・松坂屋・丸広・三越・名鉄

駅ビル・駅ナカ:
アトレ浦和・エキュート大宮・JR東日本東京駅構内GRANSTA・浜松メイワン

SC・商業施設:
AKIBA TOLIM・KITTE・グランヴィア大阪・京阪シティーモール・JA共済ビル・JOINUS・新丸ビル・流山おおたかの森S・C
ハービスPLAZA・日吉東急アベニュー・丸の内オアゾ・三井アウトレットパーク木更津
横浜スタジアム・ららぽーと横浜

公共施設:
静岡赤十字病院・しながわ水族館 他



従業員数

930名(社員 199名 臨時社員 731名) 2024年3月 ※連結子会社を含む

年間売上高

55億円 2024年3月 ※連結子会社を含む

連結子会社




台湾三色旗 股份有限公司 台湾国内に飲食店を経営
株式会社 トリコロール・ホスピタリティ・イノベーション ----- 主にファインダイニングレストランの運営



出資会社


株式会社 北海道トリコロール ----- 飲食店の運営


グループ会社

キーコーヒー株式会社



 

 

沿革


昭和11年創業
14年に合資会社トリコロール設立

昭和20年代
敗戦からの再出発、官公庁関係に出店
昭和21年からは特許庁、大蔵省印刷局、参議院議員食堂など官庁への出店
官庁の職員が復員してくるにつれて、戦死者の未亡人や傷病者に技術を指導し徐々に店舗を引き渡していきます

昭和30年代
百貨店などを中心にパーラー、コーヒースタンドを出店
昭和30年代前半には大丸、京浜百貨店、高島屋などへコーヒースタンドを出店。また、NHKなどにも出店

昭和40年代
西友、イトーヨーカ堂などの出店に伴い、喫茶、レストランをスーパーマーケットに出店
昭和41年、従来の合資会社から分離し、本社大阪の「株式会社トリコロール」と、本社東京の「株式会社トリコロール」を設立
昭和49年、柴田 博一が代表取締役社長に就任

昭和50年代
業態開発の時代
昭和40年代後半から、惣菜工場を岡山、福山に設置して、百貨店、スーパーでの惣菜販売に進出
その他に、お好み焼き、ビアガーデンなど、外食産業の多彩な形態を追求していましたが
その後も新型複合店舗、高級デザート喫茶、デリカテッセン、本格中華レストランを展開

平成元年
4月 行動指針発表
8月 代表取締役会長に柴田 博一が就任
  代表取締役社長に柴田 誠が就任

平成3年
ブランドマネージメントを開始
台湾に台湾三色旗を設立

平成4年
全社レベルのブランドマネージメントを開始 (18ブランド / 20業態 )
スパゲッティー専門店「チャオ」、喫茶「デザートパーラートリコロール」、セルフスタイルのビアガーデン等を積極的に展開

平成6年
本社を港区新橋から港区芝へ移転

平成8年
創業60周年

平成16年
株式会社セパージュ、ブルディガラ株式会社の株式の大部分を取得し、ワインレストラン部門、ベーカリー部門を強化

平成18年
創業70周年

平成19年
代表取締役会長に柴田 誠が就任
代表取締役社長に森 由一が就任

平成20年
鳥取地区にて、株式会社 鳥取トリコロール設立
大分地区にて、株式会社 大分トリコロール設立

平成21年
北海道地区にて、株式会社 北海道トリコロール設立
高級レストラン運営会社として、株式会社 IMPEC設立
子会社の株式会社セパージュ、ブルディガラ株式会社のレストラン3店舗を移管
ブルディガラ株式会社からブーランジェリー部門を株式会社トリコロールへ移管

平成25年
本社を港区芝から港区新橋へ移転

平成26年
子会社のブルディガラ株式会社を株式会社トリコロールへ移管

平成27年
取締役社長執行役員に柴田 直孝が就任

平成28年
創業80周年

平成29年
代表取締役社長執行役員に柴田 直孝が就任
株式会社トリコロール・ホスピタリティ・イノベーション設立


 


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【 最寄り駅 】  
・JR新橋駅 鳥森口より 徒歩8分
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・都営三田線 御成門駅A4出口より 徒歩4分
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